ASDと強度行動障害となにか

子の障害はストレスだけど、考えることもある。

わたしが仕事をすること



わたしは常勤で仕事をしている。

ずっと前からそうしていたわけではない。


子どもが産まれたら、

復帰するはずだった仕事を

障害があるかもしれない、

という理由でやめた。


やはり子どもに障害があった。


近隣の幼稚園は入園不可。

面接すら受けてもらえず

療育の通園施設は、当時は早いもの順。

早生まれの長男を3年保育と考えた頃には、定員になっていた。


他市の無認可の幼稚園。

「きっと将来、自分で運転するようにはならないから、車で送迎するのではなく、電車やバスを使って登園してください」

が、入園の条件だった。


次男が生まれて、連れての3年。

小学校も学区外の支援級で送迎。

6年生でようやく1人登校ができるようになり

3回のパートに出た。


そこから少しずつ仕事を替えながら

時間を伸ばし、正職員になった。


長男は行動障害が出るようになり

心理士の先生から、

離れた方がいい、という理由で

正職員になったのが、本当の理由。


物を叩き壊す長男を

心の中で否定して、絶望して

この先どうしよう、と不安ばかりだったが

「なんとか直す費用があるかも」

と思えるようになった。

それでも、どうせ壊されるから

簡単に直したり買い換えたりはしていない。


経済的なわずかな余裕は

心にわずかな余裕をもたらす。


コンビニで食べたいスイーツが買える。

ボロボロになった靴を買い換えられる。

疲れたから今日はお惣菜にしよう。


なんて贅沢なのだろう。

この「ふつう」の贅沢さを

仕事をすることで可能にする。


障害児者は、何もなくてもお金がかかる。

試しに買ってみても、使えない物の

多いこと、多いこと。

手当があるでしょ?って

そんなの一瞬で無くなる。


仕事をすることが好きなわけではない。

お金を手にすることが、大事。

「ふつう」を手に入れるために、

わたしは仕事を辞めない。